昔わらじ編みは、大切な現金収入の手段だった。

新橋や東山新田など、御殿場地区の12村落では、精農者表彰のきまりをつくり、それぞれの村のわらじ編みの一番優秀な娘12人を選んだ。娘たちは東山の観音さんで男女1対のわらじを作り、それを富士山頂上浅間大社の奥宮奉納し、五穀豊穣と縁結びを祈願した。選ばれた娘は良縁を得て、その年のうちに必ず嫁さんになったという。

当時の女性の最高の名誉であり、羨望の的であったと伝わる。

(古来より御殿場は富士信仰の拠点であり、東海道箱根越えの旅人の足「わらじ」の産地であったことから、毎年このわらじを開山の行事として奉納し、健脚祈願、五穀豊穣、交通安全を祈念している)



地元青年団によって、大わらじを使った祭りが初めて開催されたのが昭和46年。翌年には「第1回わらじ祭り」と謳い、御輿も出て年々盛り上がりを見せました。

昭和58年には「わらじ大祭」へ名称変更。女性が大わらじをかつぎ、練り歩くシーンが週刊新潮の表紙を飾ったり、テレビに取り上げられたりと、御殿場の夏の祭りとして全国的に認知され始めました。



しかし、社会情勢の変化もあり運営母体であった御殿場市連合青年団協議会が平成元年に解散。その後は市内各団体の協力により続けられていましたが、平成11年を最後に中断されていました。

数年前から、わらじ祭り再開を望む声が多くの市民より寄せられ、平成24年「御殿場わらじ祭り」として復活しました。